人は、様々な感覚をもっていて、それらを使ってたくさんのことを感じたりして日々生活して生きていきますが、その中でも一番人間が頼っている感覚が『視覚』です。
五体満足に生まれて、何の不自由もなかった人間が視力を失ったとしたら一体どうなってしまうでしょうか??
考えただけでも怖くて不安なのに、実際に経験したとしたらどうでしょうか??
数年前に私はその経験をすることとなりましたが、今回は主にどうしてそうなってしまたのか、その後どうなったのかなどの感じた事・思ったことなどの経験を交えてお話しして行こうと思います。
私の目に起きた違和感と悪化したその理由とは??

私は数年前、様々なことが理由で一切の人付き合いをやめて、数年間引きこもりの生活をしていました。
その生活の中で、もともとあったアトピー性皮膚炎が極限まで悪化して、かゆみと激痛の苦しみの中で過ごしていました。
小さいころからアトピーがあったため、ある程度は自分で騙し騙しそれまでは生活してきたのですが、その時ばかりはどうすることも出来ませんでした。
そんなひどい状態の中で、かゆいからといってかくことも出来ないため、最終手段として『痛み』で『かゆみ』を紛らわそうとして、顔全体を張り手のように叩いたり、爪の先で強く抑えたりという行動をしていました。
眼球を直接叩いていたりしていたわけではありませんが、その日々の刺激の積み重ねから、目の奥の網膜が剥がれてしまうことになり、徐々に目が見えづらくなっていきました。
最初は、視力が落ちたのかな??ぐらいに思っていましたが、光がまぶしく感じたり目の中にチカチカした光のようなものが見えたり、黒い砂嵐のような点が見えたりするようになりました。
当然、その段階で病院に行っていればしっかりと治療することができていたでしょうが、その当時は親とも顔を合わせることなく、避けて生活していたしアトピーがひどい状態で誰かに見られるのも耐えられませんでした。
そのため、結果的に半年が経ち1年ほど放置することになってしまい、目の病状も最悪の状態になり、やっと治療を始めることになった時には、両目とも見えなくなっていました。
原因は明らかですが、目の周りに刺激を与え続けて放置した結果『重度の網膜剥離』と『白内障』になっていました。
お医者さんに聞いたところ、もともとアトピー持ちの人など皮膚が弱い人は、網膜も剥がれやすくなっていることがあるのだそうです。
両目が見えなくなったことで感じた事とは??
これまで見えていたものが、すべて見えなくなってしまう…
これに関しては、もう絶望や後悔しかありませんでした。
あの時もっと早く病院に行っていれば、顔などをたたく行為をしていなければ、そもそも引きこもりの生活をしていなければ、もう今までのようには生活できないんだ…
そんなことを毎日考えていました。
そのようなことを考えることすら嫌気がさして、イヤホンをしてひたすら大音量で音楽を聴く毎日でした。
当たり前に見えていたことが、どんなに幸せだったのか・当たり前のことが当たり前ではないことを改めて実感することになりました。
そして、見えないことへの恐怖・不安なども考えれば考えるほど追い込まれていきどうしようもなくなっていました。
親も毎日付き添って身の回りの事をしてくれましたが、ありがたいと思う反面嫌気もさしてイライラし足りすることもたくさんあり、感情がかなり乱れて荒れていました。
手術を重ねて取り戻した左目の視力とその時感じた事とは??

両目の見えない状態から、その後2年をかけて両目合わせて10回の手術を行いました。
その間も、アトピーの治療・喘息の治療も同時に行い、どちらも徐々に良くなっていきました。
結果的には、左目は右目よりも症状が軽かったため、視力を取り戻すことができましたが、右目は重症度が高く視力を取り戻すことはできずに失明することとなりました。
最初は、両目とも見えずに絶望していましたが、手術を重ねて左目が見えるようになってからは、少しづつ精神的も安定していき、左目だけでも見えるようになって良かったと思えるようになっていました。
正直、右目はかなり重症で視力が戻る可能性は低いと、すでにその時には伝えられていたので、左目だけでも見えるようになったのは幸運だ!!右目は仕方ないなと思えるほどにまでなっていました。
あんなに絶望して、人生も諦めかけていたからこそ、そういう気持ちになれたんだと思います。
両目が見えなくなって、片目を失明してしまったのは他の人から見れば不幸かもしれませんが、私にとっては左目が見えるようになった事は幸運です。
家に引きこもって、毎日苦痛に耐えていたころに比べれば、今は本当に幸せだと感じます。
今の私にとっての幸せとは??

色々な経験をして、最悪の状況から持ち直した今思う幸せとは…
当たり前にご飯が食べれること、当たり前にパソコンやスマホが使える事、当たり前に外を歩けること、当たり前に眠りにつくことができる事、当たり前に友達と合って話ができる事!!などなど言い始めたらキリがありません。
他の誰かにとっては日常で普通の事でも私には幸せなことで、つらい経験をしなければ絶対にそんな風には思うことはなかったことです。
今、つらい思いや追い込まれた状況、悩みを抱えて身動きが取れなくなっている人もいるかもしれません。
私が言いたいことは、そんな辛く苦しい経験をした人にはその後きっと自分の考え方が変わって、些細なことでも幸せに感じたり、自分の経験としてまた一つ自分の成長に繋がるという事です。
その時は分からなくても、いつかは私のように思う人も多いはずです。少しでもいいから希望をもって欲しいと思います。

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